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松本隆対談集 『KAZEMACHI CAFE』



風待茶房での対談のアーカイブ(ネットのアーカイブを紙媒体で、というのは良い発想ではないかと最近思う。ネット上のデータって、やっぱり50年、100年のスパンで見たときにどうなるか、まだ誰にも分からないけど、紙媒体の方がまだ予測可能性は高いと思う)。

色々面白い対談はあるけど、個人的なベストはなんといっても大瀧さんでしょう。というか、それが気になって、近所の図書館から借りてきたのだが。
そもそも対談に出てくるのが凄い。

大瀧さんのヴォーカルについての話が凄かった。以下引用で。

歌い方って技術じゃないよ。声の出し方なんだよ。よく「歌ってる声と喋っている声が違う」って言うけど、当たり前でね。違わないとまずいんだよ。声は作るものだから。みんな、声は自然に出てると思ってるけど、それは歌じゃない。ただの発声なんだ。でも、声を作るって言うと、みんな「作為」の「作」の方を無理矢理入れて解釈するんだよ。それはある種の技術コンプレックスなんだ。「本能は技術では出せない」とかって言いたがるんだけど、違うんだ。技術が至らないだけ。下手なだけなんだよ。



で、松本の詞っていうのはまばゆいわけだ。それを歌うっていうのは、どこが光ってるかどこが光ってないか、白黒映画の陰影の見せ方みたいなものに気配りしなきゃダメなんだよ。それは水面がきらきら光っているようなものだから。乱数で光る。



松本の場合は一小節の中に白と黒の光がぱらぱらぱらって光るんだ。ここは明るい、ここは暗いって。そして、そういうふうに丹念に歌わないと詞が生きないんだ。生きないというか、さらなる魅力を増さないというか。



「はいからはくち」にしても「十二月の雨の日」にしても、一度全部ローマ字にしたんだ。音で分解する必要があったから。そのローマ字の母音と子音を見ながら、どこを光らせてどこを暗くしてってやって、歌うときは全部当然忘れるんだけど、完全な忘我状態になれる前までリフレインするんだ



母音を明るくして子音を暗くするのはあたりまえなんだけど、たまにひっくり返したりね、子音も強くするのと引っ込めるのと考えて。だから、松本・大瀧作品で大瀧が歌ったものは絶対に飽きない。それはなぜかというと、キラキラ光る部分が毎回違うように、乱数になるように仕掛けてあるから。



で、はいからはくち


十二月の雨の日

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